in the water-blue sky
南三陸町。
3月末から被災地に入り始めて、7月にようやくこの町を訪れることができた。
毎週とは言わないものの、ほぼ月に2〜3回の週末を被災地で過ごすようになってからは、
この町には毎回のように足を運んでいる。
これからもここの写真はよく出てくるだろう。
どんな風にこの町のひとが復興していくのか、恐らく何年も訪れるだろうと思う。
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南三陸町。
3月末から被災地に入り始めて、7月にようやくこの町を訪れることができた。
毎週とは言わないものの、ほぼ月に2〜3回の週末を被災地で過ごすようになってからは、
この町には毎回のように足を運んでいる。
これからもここの写真はよく出てくるだろう。
どんな風にこの町のひとが復興していくのか、恐らく何年も訪れるだろうと思う。
震災から半年が経って、ようやく気仙沼を訪れることができた。
金曜の夜に深夜バスで東京を発ち、土曜の早朝に仙台に到着する。
しばらくはJRと代行バスを乗り継ぎ被災地を訪れていたが、
南三陸町以北はそれが難しい。
この日は仙台市の荒浜へ。
これは別に砂の山の上に家が建っていたのではない。
家の基礎から下が波に持って行かれたのだ。
こうして被災地域を行き来すると、波の高さ、被災範囲を確認する癖がつく。
そして、どこまで逃げれば助かったのか、段々とわかるようになる。
写真の場所からだと、どこへ逃げるにも極めて厳しかっただろうと思われる。
基礎だけが残る現場を見て、確かにこれが残るうちは次に進めないなどと
考えてしまいがちになる。
でも、南三陸の被災女性の話を聞いたときに、僕はそんな考えを恥じた。
彼女は言う、
南三陸町防災センター。
今も多くのひとがここを訪れる。
花や供養の品、メッセージが所狭しと並べられる。
鉄骨だけになったスカスカの建物に、ギッシリと思いが詰まっている。
町はここをこの災害の遺構として残すことを提案するが、
遺族の心情も勘案し、取り壊しとなるそうだ。
先のことを考えるには、あまりに時間が少ない。
時間しか、傷ついたひとたちの心を癒すことができないのかもしれない。
今日は写真展を觀に福島県いわき市へ。
帰りに寄ったいわき市の久之浜。ここも津波に襲われ、町が燃えた。
初めての被災地に出会うと「ここもなのか」と気力を失いそうになる。
そして何もできない。
せめてここは何があったのか、どんなひとがどんな風に暮らしていたのかと、
思いを巡らせ、それを撮る。
それは誰にも何にも酬うものにならないし、救いもしない。
あまりに落ち込み、憔悴する。
ここはカラーでは撮れなかった。すぐにカメラのモードを切り替えた。
デジタルじゃなかったらと思うと気が遠くなるほど。